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ニュージーランドでの放浪から東京のリアルに帰ってきて、もう一ヶ月が経った

一年半ぶりに日本に帰ってきた

 

ついにニュージーランドから東京に帰ってきた。といっても、それも一ヶ月前のことである。

南半球から北半球へ。田舎から都会へ。冬から夏へ。この帰国には色んな理由があったが、一言でまとめればニュージーランドでやりたいことはやりつくした。その日暮らしも楽しいものだが、地盤をかためたくなった。海外での放浪は有意義な時間の使い方だと思ったが、自分の現実に対しては何の約束もしてくれない。 

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そう。なんの約束もしてくれないのだ。


 

日本からの亡命と称して旅立ったニュージーランドへのワーキングホリデーだったが、結局日本に蜻蛉返りすることになる。そんなことくらい初めから分かっている。

海外で初めて自立してみて、自分の出身国である日本に対して感じたのは、複雑な感情だった。やや空回りした言い方をするならば、愛憎溢れると言ったところ。自分の故郷であり、思い出もある。それに劣らぬ日本社会への憎しみもあり、海外での生活は日本の生活で病んだ心を晴らしてくれた。だが、その一方で日本の文化や生活水準が恋しくもなる。外国人に日本のことを褒めてもらえると誇らしくなる。かといって、いざ日本社会に戻ることを考えると胆汁の味が口いっぱいに広がる。

この感覚を詳しく説明して失敗するような、不器用な真似はしたくない。多くの海外在住者は同じアンビバレンツを抱いているのではないか?違うのか?

 

結局、自分はその日暮らし的な感覚で、人生を生きていこうとは思えなかった。ニュージーランドでの遊牧民生活は刺激的だったが、毎日がアドベンチャーなんてことはありえなかった。遊牧民生活にも遊牧民生活としての現実があり、飴玉のように刺激的な毎日は惰性に溶けていくような感覚があった。飴玉が口の中から消え去った後には、日本社会での苦悩とは別の苦悩があると、直感した。いわゆる、アプリオリというやつ。

 

それもまたニュージーランドの生活の中で掴んだ大切な経験の一つだ。ぼくはぼくであることから逃れられない。

  

実際、ニュージーランドへのワーホリを決断できて、本当に良かったと思う。

ぼくの場合は、日本社会への適応障害で引きこもり寸前だった。心の病と呼ばれていたものも環境を変えると、すぐにそれどころではなくなった。自分から動かないと、何も変化しないし、本当の意味で誰も助けてくれない。

だから、一年半ものリハビリ放浪生活を送ったのち、日本に帰ることにしたのだ。

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いささか早足すぎる、差し迫ったリアルの足音

 

二週間もの隔離生活は実家で過ごした。実際のところ、あまり帰国したという感覚がない。コロナ禍であろうがなんであろうが、実家に身を置いて、勉強をするつもりだったので、想像していたほどのストレスは感じなかった。

やはり日本食が美味かった。運送技術が向上し世界が小さくなったとはいえ、枝豆に鰹のたたきなんてニュージーランドにはない。白米も味が違う。食文化に関しては、日本とニュージーランドとでは天と地ほどの差がある。風呂に浸かったのも実に久しぶりだ。日本にあるものは何かにつけて気が利いていた。

ただ久しぶりに帰った東京はめちゃくちゃ窮屈に感じられた。物や建物で溢れかえっている。情報に溢れかえり、地平すら見えない。空もくすんでいるし、猫の額のように狭い。

隔離期間をあけて、近所を散歩してみた。

日本人しか歩いていない。いくつかの店が潰れ、代わりにマスク直売店が街角に点在していてまるでSFだなと思った。人口密度が高すぎる。梅雨明けの炎天下は過酷だった。マスクの中はアマゾン川さながらだった。自分が余所者に感じられた。

 

だが、それも一瞬のことだった。

ニュージーランドにいた時は東京が夢のようであったのと同じように、東京にいるとニュージーランドにいた時のことは夢のように感じられた。一年半そこに置き去りにしたはずの東京での問題は消えることなく残っていた。

混乱や苦悩はどこに行っても消えることはないのであろうが、結局ニュージーランドにいたときとやることは同じだ。

遠い未来のことを考えるよりも、まず目先のことを一つ一つこなしていくだけだ。

 

それにしても、このブログの更新頻度はどうにかしなくてはならないが・・・。