あまのじゃくのきまぐれ

失敗談多めの、涙の味で塩辛いブログです。

【退職日記】頭蓋骨の中には脳みそよりもメロンパンをぶちこんだ方がマシみたいだ【メンタル安定化失敗】

これから、目も当てられない文章を書くつもりだ。

毎日大学ノートに書きなぐる日記の代わりに、ブログの記事として投稿するわけであり、ぼくは精神疾患者であるゆえ、とても見ぐるしいものになるであろうことは覚悟している。鬱は甘えだと思う人はさっさとブラウザバックを押していただきたい。なぜなら、ぼくはこれから、ひたすらに「甘える」つもりであるからだ。

じゃあ、なぜ、そんな醜悪なものを記事にするのか?

決まっている。引きこもりとしては最高のブログのネタになるからである。

 

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個人的には、割と真面目にメンタルトレーニングを続けてきたつもりなのであるが、

上へ上へと心の傾斜を登ろうとする試みも虚しく、突然、心の傾斜が急勾配になり、

どん底に叩き落とされるのは、相当こたえる。

今や陸上に上がることを諦めて、ベッドの上の漂流民となった。

つまり、寝たきりである。

 

今まで意識してこなかったが、カウンセラーや心理系の本を読んでいて、

ぼくがフラッシュバックを感じ続けていたことに気が付いた。小学校の時のことやもっとそれ以前にいじめられていたことが、ぽかんと思い出されて、時々動きが止まる。過呼吸が止まらない時、いくつかの過去の体験がぐちゃぐちゃになって思い出されていることも意識しはじめた。心療内科で診察を終えて、帰り際にドアを閉める時、背後から笑い声が聞こえてきた。「あんなやつ、大した苦労もしていない癖に心療内科なんかに来やがって。自意識過剰なやつだね」心療内科に来る資格だなんてあるはずがないのに、アンケート用紙に書き込む手が震えるのである。そういえばもう一ヶ月、心療内科にも行けていない。電車に乗るのが怖いからだ。

 

きっと自意識過剰なんだろうと頭では考えているんだが、全くの赤の他人の発した言葉の端々とか表情の変化にでも悪意を感じ取ってしまう。もう頭で考えることよりも、感じてしまうことの方が自分を圧倒しはじめている。

頭の中で「あなたは自意識過剰でーす」と書かれたびっくり箱を思い浮かべて誤魔化そうとしても、人に悪意を持たれている感覚は拭えず、はっきり言って、こんな感覚に苛まれて生きていくくらいなら死んだほうがマシだ。

 

ツイッターをやっていても、フォロワーの全員から監視されている気がする。人の呟きが自分への誹謗中傷に見えて仕方がない。ツイッターを開いてなくても、スマートフォンを手にしている限り、誰かに盗聴、盗撮されている気がしてならない。そんなことはないとは思うのであるが、アカウントを何度も消し、その度に孤独感に苛まれ、アカウントの復活を繰り返している。ツイッターを開くたびに、他人の何気ない呟きに激しく反応し、怒りが込み上げてくる。ついに発狂し、ツイッターを辞めた。だが、アカウントは30日間経たないと完全に消えてくれない。寂しさから、またアカウントを復活させてしまいそうだ。

もう、どうしようもない。

 

瞑想をして、運動をすれば、メンタルは改善するはずだと聞いた。

それらは実践はしていたし、サプリを飲んでみたり、自分の感情をノートに書きなぐってみたりもした。確かに効果はあり、ネガティブな感情が湧き上がっても、そういった感情を無視できるようになった。だが、時々溢れて出してくる怒りの感情には全くの無力だった。怒りが湧き出すと、すべてを壊したくなる。そうなると、メンタルのコントロールが効かなくなる。操縦桿をいくら持ち上げようとしても、高度を下げていく戦闘機に乗っているようなもんだ。怒りが湧き出すと、もはや自分が幸福になりたいのか何かに復讐したいのか、どちらがしたいのか全然分からない。

鬱は心の風邪だと言った奴は死んだほうがいい。復讐していいとすれば、そういったことを言いやがった連中だ。なんせ風邪なんてレベルじゃないからである。

 

こうやって、自分の考えをまとめたり、何かを書いている時だけは幸せだ。誰もぼくに干渉しないし、いつもネガティブなことばかり耳に囁きかけてくるもう一人のぼくも、何か書いている時だけは協力してくれるから。

でも基本的には、もう何も考えたくない。脳みそが甘い甘いメロンパンにすり替わっていてくれたら、とてもありがたい。すり替わっていた時のぼくの生き死には問わない。