あまのじゃくのきまぐれ

基本的には雑記と書評をやってます。

自意識過剰で面倒な人がフリーライブに行ったお話

忠告のために言っておくと、この記事はつまらない雑記である。

つむじ曲がりの偏屈人間が顔を赤くしたり青くしたりしながら書いているのだから性質が悪い。ぼくは自分の中で整理しきれないものがあるときにはとりあえず書き出してみることにしている。つまり、人に読んでもらうためにこの記事を書いているのではなく、自分のためのものであり、真人間になるためのリハビリ活動の一環として行っている。ネットサーフィンをしているうちにこの深層ウェブへ到達してしまった人はお気の毒様。さっさとブラウザバックをした方がいい。モノ好きする人は勝手に読めばいいが、後で読むのに使った時間を返せと言われてもその補償はできない。

 

湘南の砂浜でぽつねんと座り込んでいる男がいた。青い空にギラギラ照りつける太陽、きゃあきゃあと波を踏んづけてふざけ合う人もいれば、数人で詰め寄って歯を光らせて自撮りしている人もいる。子どもの悪ふざけを叱る親の姿もどこか楽しそうだ。缶ゴミも波に揺られてゆらゆら笑っている。海だというのに男は全身黒づくめの上、文庫本片手に読書をしているので、彼のいる場所は陽気な砂浜のムードの中でも場違いの不穏な空気を醸し出している。本の文字を追っているかというとそういう訳ではなく、手持無沙汰なものだから、眉間にしわを寄せていかにも読書しているようなポーズを取ることによって自己防衛をはかっているだけに過ぎない。

いうまでもなく、ダークパワーを無料で垂れ流しているこの男はぼくのことなのだが、ヒキコモリが外に出るとこうなってしまう。

 

先日、ぼくは然るフリーライブに参加するべく湘南の海に特攻した。フリーライブを開催したアーティストのことだが、あえて名前は出さない。これは誇大化した我が醜い自意識のせいである。パンパンに膨れ上がった自意識のせいで、コンビニで雑誌を小脇に挟んでいれば万引き犯として疑われることに恐怖して周りをキョロキョロ見回し、近所の入った店で知り合いがバイトをしてれば本来美味いはずの飯も顔をしかめて食わなければならなくなる。これは呪いのようなものであり、アーティスト名を出してしまうと首から上が真っ赤に膨れ上がり、破裂する。

まあぼくの言いたいことが分かる人は分かるだろうし、分からない人は「この人めんどくせえな」と左矢印を押して引き返してもらっても困ることはなにもない。

 

フリーライブの告知がネットに出た時は喜んでいたが、時が経つにつれてなにやら渋い顔になっていた。色んな不安を煽りかけるもう一人の自分が現れたのである。こいつは厳格者・常識人然として徒に人を恐怖のどん底に突き落とす愚劣な粗忽者であり、我が大脳新皮質に悪魔の囁きを吐きかけられると臆病者の方の自分はたちまち考え込んでしまう訳である。そんなこんなで数日間、我が脳内は紛争状態だった。どちみち臆病者の方には欲望が味方になっていたので優勢だったことには違いないが、悪魔に完全に打ち勝ったのは、ある朝、目を覚ましてみると万歳の恰好で腕を痺れさせていたというできごとがあったからである。これはライブに行きたいという無意識の現れだという判定を下し、ぼくは湘南の風に吹かれることに決めた。

 

つまりぼくが湘南の海でぽつねんと座っていたのは、ただライブのはじまるのを待機していただけのことであり、その少し前は鎌倉にいた。古刹鎌倉に足を運ぶことによって、神気を身にまとってからライブに行こうという一案だ。こんな愚案を思いついたのも、自意識のせいといえる。残暑の鎌倉を歩きまわった後に食べる、生姜のたっぷり乗った生シラス丼は絶品であり、ほのかに苦い。込み合った店内で4人席を1人で独占していることが気になり、帽子をとった後の汗まみれのボンバー頭が気になり、座席にべったりついた汗が気になりはじめたので、いそいそと店を出た。数時間、江ノ電に乗ったりして十分低回したので、湘南の海に向かった。

 

朝4時頃から待機していた人たちで前の方は埋め尽くされていたものの、まだライブの様子が見えるであろう位置に腰を落ち着けて、本を読んだり、沖の方に灰色の海坊主を出現させたりした。老若男女多くおり、近くになんだか神経質そうに立ったり座ったりしている同じ年代であろう男が何人かいたので安心して座っていたが、はじまる1時間前に急に尿意がもたらされた。炎天下の中鎌倉を歩き回っていたせいで500mmのペットボトルをゆうに5本は消費しており、直前にコンビニで飲んだアイスコーヒーLサイズが膀胱を満たしたのであろう。パンツと美しき砂浜をアンモニアで汚染するのは避けたかったのでトイレに行ったら、長い列ができていてまるでゴカイのようであった。トイレから帰還すると、これがまったく後ろの方で見ることになってしまって、海の中で水死体のふりをしているほうがよっぽど良く見えそうだった。

ライブがはじまってみると、氷が溶けていくように凝り固まった自意識もほどけて、何か憑きものの落ち着いた顔でこのひきこもりも楽しんだわけであるが、感情の機微について詳しく書き連ねてしまうことをしないでこの記事を終わらせることを決めてしまっている。

もう少しまともな話になっていくのかと期待していた人はご愁傷さまである。