読書感想文をするのが難しい本を読んでしまいました。
ちなみに大江健三郎作品を読むのははじめてで、ぼくの好きな作家である安部公房と比較されることも多いので気になっていました。
個人的には、大江健三郎ワールドに没入できたので楽しめたのですが、感想や書評を書くとなるとかなり難しいですね。まあ頑張って書評をしてみようかなと思います。
新潮社版の「死者の奢り・飼育」には、
『死者の奢り』 『他人の足』 『飼育』 『人間の羊』 『不意の唖』 『戦いの今日』
の6つの短編が収録されています。
今回は6つの作品の感想を各々書いていくのではなく、大江健三郎作品のどこが面白かったかというところにフォーカスを当てていきたいと思います。
まあ、「死者の奢り・飼育」という題から、おおよそ予想はつくと思いますが読後感が良い作品は一つもありません。
大江健三郎や安部公房のようなタイプの作品は、ストーリーを楽しむというよりも現実世界から飛翔した、その作品独自の世界観に入り込むことで、フィルムカメラみたいに脳内に強烈な印象を頭に焼き付けることが出来るのです。
例えば、『飼育』は、孤立した村に住む子どもたちが捕虜になった黒人との関わりあいから悲劇へとつながっていく
という内容ですが、村の子どもが地下倉庫に閉じ込められた黒人の排泄物を捨てに行くシーンや一緒に水辺で水浴びをするシーンなど印象に残るシーンは多くあります。
独特な表現や描写、作品設定が作り出す世界観を楽しみながらも、作品に通底する主題を無意識的に読み取っていくことが、「死者の奢り・飼育」の楽しみ方だと思います。
「死者の奢り・飼育」に収録されている6作品に共通しているのは、戦後の日本の閉塞感・疲労感が表現されていることです。
『死者の奢り』では死体処理のアルバイトが徒労に終わったという形で、『人間の羊』、『不意の唖』などでは、アメリカ人と日本人の歪んだ関係性を通して、現代に生きる自分たちが感じている閉塞感や疲労感に訴えかけてくる力を持っています。
この書評がきちんと書評として成立しているのかは、正直自信がないですけど、大江健三郎、その人の好き嫌いを置いておいても、一度は読んでみる価値はあるのではないかと思います。